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東京地方裁判所 平成8年(ワ)19562号 判決 1999年5月14日

原告

二瀬順子

右訴訟代理人弁護士

松井繁明

(他七名)

被告

カルティエ ジャパン株式会社

右代表者代表取締役

ギイ・レマリー

右訴訟代理人弁護士

三ツ木正次

田中徹

平野高志

竹之下義弘

大塚一郎

右訴訟復代理人弁護士

副島史子

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

1  原告が被告に対して労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告は原告に対し、

(一)  平成八年七月一日以降毎月二五日限り四六万六五二五円

(二)  同年以降毎年七月末日及び一二月末日限りそれぞれ三五万〇八五二円

(三)  右各支払期日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員

を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告と労働契約を締結して被告の販売業務に従事していた原告が、被告から受けた懲戒解雇につき、就業規則所定の懲戒解雇事由に当たらず又は権利の濫用であるから無効であると主張して、被告に対して労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、これを前提として未払給与及び未払賞与の支払を求めた事案である。

一  前提事実(以下の事実は、当事者間に争いがないか又は当該箇所に掲げた証拠等によって認められる)

1  被告は、世界的に著名なフランスのブランドであるカルティエの宝石、時計、革小物、ライター、スカーフ、ギフト小物等の販売等を目的として、昭和五二年五月二八日設立された株式会社である。

2  被告の社員(従業員)には、次の職種がある(書証略、弁論の全趣旨)。

<1> 普通社員 正規の入社試験その他の選考によって雇用されたもの。

<2> 販売職社員 普通社員のうち、ブティック、コーナー等で販売業務に従事するもの。

<3> 技術職社員 普通社員のうち、商品の加工修理等の業務に従事するもの。

<4> 嘱託社員及び契約社員(パートタイマーを除く) 特殊な業務に従事するために一定期間雇用されるもの。

3  原告は、平成四年一一月一六日販売職社員として被告に雇用された労働者である(証拠略)。

4  被告は有名百貨店に販売店舗を出店しているが、その販売店舗はブティック(カルティエの他の商品のほか、宝石の販売をも行う比較的規模が大きいもの)とコーナー(宝石を除くカルティエの商品の販売を行う比較的規模が小さいもの)の二種類に分かれている。この場合、百貨店に販売店舗を出店した被告と百貨店との関係は、顧客からのクレームの受付・処理は主に百貨店が担当・指示し、販売店舗の営業・人事等は被告が担当するものとされ、かつ、販売店舗の被告社員は、当該フロアー担当の百貨店社員からの指示を受けるものとされている。

5  原告は、雇用当初、百貨店である株式会社伊勢丹(以下「伊勢丹」という)経営の都内新宿区所在の店舗(以下「伊勢丹新宿店」という)に出店したブティック(以下「被告新宿店」という)に、店長職予定として配属されたが、平成五年四月一二日百貨店である株式会社三越(以下「三越」という)経営の都内中央区所在の店舗(以下「三越銀座店」という)に出店したブティック(以下「被告銀座店」という)の社員(店員)に配属替えされた。なお、被告新宿店では、原告の部下として五名の被告社員が配置されていたが、被告銀座店に配属された被告社員は原告一名で、他に一名の三越社員が被告銀座店に配属され、原告と共に店頭に立った。

6  被告の就業規則には、次の定めがある(書証略)。

五九条(懲戒解雇事由)

従業員が、次の各号のいずれかに該当する場合は、懲戒解雇とする。ただし、情状により軽減することがある。

(1) 故意又は過失により業務上重大な失態があったとき。

(14) 会社の信用、体面を傷つけるような行為があったとき。

7  被告は、原告に対し、平成八年四月二六日、同月二五日付けで被告銀座店から本社リテール営業本部に配属替えする旨通告し、さらに、同年五月二日自宅待機を命じた上、同月三〇日、同月三一日付けで就業規則五九条(1)及び(14)の規定により懲戒解雇に付する旨の意思表示(以下「本件懲戒解雇」という)をした(書証略、弁論の全趣旨)。

8  原告は、本件懲戒解雇前、被告から毎月二五日を支払日として当月分の給与の支給を受けていたが、本件懲戒解雇に至るまでの三か月間に支払を受けた給与は、平成八年三月分が四〇万六七二二円、同年四月分が五九万六四二一円、同年五月分が三九万六四三一円であるから、以上三か月の平均給与月額は四六万六五二五円である(弁論の全趣旨)。

二  争点

本件懲戒解雇についての就業規則五九条(1)又は(14)所定の懲戒解雇事由の該当性及び権利濫用の有無

三  当事者の主張

1  原告の主張の骨子

本件懲戒解雇は、以下のとおり、就業規則所定の懲戒解雇事由に当たらず又は権利濫用として無効である。

(一) 次の2(一)(1)において被告新宿店に配属時の原告の接客態度として被告が挙げている事柄は、いずれも事実に反するか又は解雇理由としては取るに足らないものである。また、被告は、原告の部下や百貨店の社員との協調性の欠如を問題にしているが、このような事実はなかったものである。さらに、被告銀座店への異動の経緯について、原告が「改めるべき点は改める」として懇願した旨主張しているが、原告は仕事の不慣れな点を認めたまでであって、その主張のような解雇理由を認めたものではない。

(二) 次の2(一)(2)において被告銀座店に配属時の原告の勤務状況等について被告が挙げている事柄には、以下のとおりの問題がある。

(1) 同アで被告が主張する三越銀座店のフロア担当責任者からのクレームはなく、右責任者からそのような意向が示されたことは原告に伝えられていない。同アで被告が主張するその余の事実はない。

(2) 同イで被告が主張するトラブルの事実経過の大要はそのとおりであるが、原告は、長い海外生活から、相手の好みに合うように気を遣って商品を選択して贈り物をするというヨーロッパの慣習が身に付いていたため、贈り主である顧客に対しアドバイスの意味を込めて電話で連絡したものである。

(3) 同ウについては、原告と被告人事部長とのやりとりのうち、被告に都合のいい点だけを挙げているものにすぎない。

(4) 同エ前段については、通常、販売員としては現物を見ないと本当に購入時から存在した傷か否かが判断できないはずであり、実際、原告は、「電話では分からないから、現物を見せてほしい」と顧客に答えている。したがって、同エ後段のような顧客のクレームはなかった。

(5) 同オについては、原告が被告主張の時計の金属製バンドを革製バンドに取り替えることはできない旨答えたことは確かである。

しかし、カルティエの腕時計の設計の基本的考え方は、デザインと機能を同一レベルで追求するもので、機能だけが優先する日本的な考え方とは異なっており、文字盤のある時計本体と金属製バンドが一体となって一つの腕時計のデザインが成り立っているから、バンドが革製のものになれば、もはやカルティエの腕時計とは言えなくなってしまうのである。本件も、そのような被告と日本人顧客との考え方の違いから生じたもので、高価なカルティエ商品に対する顧客側の過度の期待にも問題があった一例である。ところが、右顧客の来店時、店頭には原告が一人しかおらず、電話が鳴りっぱなしで、しかも配送の人が入ってきており、原告が丁寧に説明する時間的余裕がなかったのである。したがって、本件に関しては、原告に落ち度はないと言える。

(6) 同カにおいて被告が主張する三越銀座店の社員との関係で協調性がないこと、接客態度が悪いこと等は、主に三越側が確認したことに過ぎないし、それらの事実が被告に対して「測り知れない損害」を与えたことは、何ら立証されていない。

(三) 説得的なセールストークの技術を有する原告は、優れた販売能力を有しているので、被告勤務中にも右能力を発揮し、特に被告銀座店では売上げを伸ばしてもいる。にもかかわらず、被告が原告に対して本件懲戒解雇に付したのは、海外経験に基づく原告の合理的言動が日本的な事なかれ主義の風土の下で各所の反発を招いたのに対して、正当な理由のない反発であるのに、右反発から原告を擁護しようとせず、これを無批判に受け入れたことに真相がある。

2  被告の主張の骨子

(一) 本件懲戒解雇の理由は、次のとおりである。

(1)ア 被告新宿店に配属時、原告には、接客態度が極めて悪い、伊勢丹新宿店の担当社員及び被告新宿店の部下との間で全く協調性を欠き、注意しても他人に責任を転嫁して全く反省しようとしない、などのことがあった。

イ このため、伊勢丹から被告に対し、原告を売場から外すようとの要請が再三行われ、これを受けた被告が原告に注意しても原告の態度が変わらないので、平成五年三月二六日原告に解雇の通告をしたところ、原告から被告社長に対し、改めるべき点は改めるのでもう一度チャンスを与えてほしい旨の懇願があった。その後、原告が、百貨店における人間関係に十分留意して問題を生じないようにすること及び再度百貨店や顧客からクレームがあった場合には解雇するとの条件付きで被告銀座店に配属されることを承諾したので、被告は原告に対する解雇通告を撤回し、同年四月一二日原告を被告銀座店に配属した。

(2)ア 被告銀座店に配属後、三越銀座店のフロア担当責任者から、被告の営業担当者に対し、原告の接客態度についてクレームがあり、三越のイメージに合わないので原告を替えてもらいたいとの意向が示された。このため、被告は、平成六年一月ころ、原告に対して、接客態度について厳重に注意し、再度三越からクレームがあったときは辞めてもらうことになる旨通告した。

イ 平成七年八月ころ、被告銀座店の顧客が同店から購入して贈り物として贈ったバッグを、受贈者が三越大阪店で金券と交換し、そのバッグが被告銀座店に送付されてきたところ、原告は、顧客に対し、バッグが換金されて返送されてきたことを電話で知らせた。

このため、三越銀座店は、顧客及び受贈者の双方から、非常識なことをしたとのクレームを受け、同店の担当者が顧客宅を訪問しておわびをした。

ウ 平成七年冬の賞与の評価に当たり、被告は原告について平均よりも低いC評価をしたところ、原告から抗議があったので、被告の人事部長が原告と応対した。同部長は、前記イの顧客のクレーム内容が極めて重大であること、百貨店の売場の他の者との間にしばしば問題を生じ、相変わらず協調性に欠けるためにC評価になった旨説明し、更に、このままの状態が続けば退職してもらわなければならなくなる旨の警告をした。

エ 同年一二月二〇日ころ、原告は、被告銀座店で手帳のリフィール(補充用紙)を購入した顧客からの電話で、購入したリフィールに傷があった旨告げられたのに対し、「そんなはずはない」と言い、顧客自身が傷を付けたかのような対応をした。

このため、立腹した顧客から、三越銀座店にクレームの申し出があり、同店のフロア担当責任者が顧客宅を訪問し、リフィールを新品と交換して謝罪した。

オ 平成八年四月一〇日ころ、原告は、顧客から、所持していたカルティエの時計の金属バンドを革製バンドに取り替えたいとの相談を受けたのに対し、「そんなことはできない」と言って、とりつくしまもない対応をした。

そのころ、当該顧客から被告本社に対し、右のような対応を受けたことを理由として直接クレームの申し出があったことから、被告が原告に厳重注意したのに対し、原告は一応謝罪したが、その後話題を変えて被告に文句を言い、全く反省の色が見られなかった。

カ 原告は、被告銀座店と同一のフロアに勤務する三越銀座店の社員との間で全く協調性がなく、接客態度が悪く、顧客に対する言葉遣いも悪いので、しばしばフロア担当責任者などから注意されたが、改めようとしなかった。

キ 三越銀座店からは、被告の営業担当者に対し、何回か原告を替えるようにとの申し入れがあったが、平成七年一二月及び平成八年四月には、被告本社に対し、その旨の正式な申し入れがあった。

(3) そこで、被告は、平成八年五月一日以降、人事部長が、原告と何度も面談し、自発的退職の説得の努力を重ねたが、原告から拒絶されたため、やむを得ず、同月三〇日、本件懲戒解雇をしたものである。

(4) 被告にとってカルティエのイメージは極めて重要であるところ、原告の前記の種々の行為は、顧客及び百貨店に対して被告の信用を著しく失墜するものであって、その内容も全く常識では考えられないものばかりである。特に、三越銀座店における被告店舗(被告銀座店)は、同百貨店の特選サロンの一角にあり、他の著名なブランド商品の販売場所と同一フロアに位置している。この特選サロンにおいて、被告だけが顧客から強く非難されるようなクレームを再三受けたことによって、被告が測り知れない損害を被ったことはいうまでもない。

(二) したがって、原告には就業規則五九条(1)及び(14)の懲戒解雇事由があるから、本件懲戒解雇が正当であることは明白であって、本件懲戒解雇に権利濫用はない。

第三当裁判所の判断

一  前提事実(前記第二の一)、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  原告(昭和二四年一月生)は、平成四年一一月一六日被告に雇用され、被告新宿店に配属された。被告は、新卒を採用してセールススタッフを自社で教育・育成するという我が国の多くの企業に見られるような方法を採らず、必要に応じて、即戦力の販売スペシャリストを外部から採用するという方法を採っており、原告も、被告の店長募集に応募した結果、販売職社員(店長職予定)として被告に雇用されたものであった。

2  ところが、被告新宿店に配属後、伊勢丹から被告に対し、原告について、<1> 接客態度が極めて悪い、<2> 伊勢丹新宿店の担当社員等の間で全く協調性を欠き、注意しても他人に責任を転嫁して全く反省しようとしない、との理由で、売場から原告を外すようにとの要請が再三にわたって行われた。右理由のうち、<1>は、ガラスケースに肘をついたまま顧客に応対する、顧客に対する言葉遣いが悪い、横柄な態度を取るとのクレームを顧客から受けたことなどを内容とするものであり、<2>は、気にくわないことがあると理由もなく部下をどなりつける、伊勢丹新宿店の担当社員から注意されてもくってかかるような態度で応対し、自分の非を認めようとしないことなどを内容とするものであった。

3  被告営業本部本部長は、伊勢丹側から指摘された、原告の接客態度及び伊勢丹新宿店の担当社員等との協調性の問題につき、その改善を原告に求めたが、その後も原告の態度が変わらないものと認められたので、平成五年三月二六日原告に口頭で解雇の通告をした。これに対し、原告は、被告社長との面談を申し入れ、同月二九日被告社長に会い、どうしても被告で働きたいから、改めるべき点は改めるので、もう一度チャンスを与えてほしい旨の要請をした。その結果、被告は、原告の要請を認めることとし、解雇通告を撤回し、同年四月一二日、原告を被告銀座店に配属した。

4  被告銀座店の被告社員は原告一名だけの配属で、他に三越社員が一名勤務していたが、同店は三越銀座店の中でも特に有名ブランドが集中する「特選」と呼ばれるフロアの一角にあり、三越側でも「特選」の職場にはよりすぐった人材を配置していた。

5  被告銀座店に配属後しばらくして、三越銀座店のフロア担当責任者から、被告銀座店の当時の営業担当者で原告の上司である上野こうこに対し、原告の接客態度についてたびたびクレームの申し出があり、右上野は、その都度、原告に注意を与えていたが、平成六年一月には、三越銀座店の担当営業部長から、原告の接客態度に問題があること及び三越側からの諸注意に従うという態度が見られないことを理由として、原告を替えてもらいたいとの申し出がされた。そこで、右上野は、そのころ、原告を被告本社に呼び、羽田勝行人事部長(以下「羽田人事部長」という)の同席の下で、原告に対し、接客態度の改善及び三越社員との協調性の確保について厳重に注意し、三越側には右事実を伝えてしばらく様子を見てほしい旨申し入れた。

6  平成七年八月、被告銀座店の顧客がバッグを購入し、これを中元贈答品として受贈者に贈ったところ、右受贈者がこれを三越大阪店で金券と交換したため、そのバッグが被告銀座店に返品扱いで送付されてきた。右バッグが返品として被告銀座店に戻っていることを見た原告は、その経緯について三越側に何ら確かめることもせず、顧客に対し、バッグが換金されて返品されてきたことを電話で知らせた。原告の右行為を知った三越銀座店のフロア担当責任者が驚いて受贈者に電話したところ、受贈者は既に贈り主である顧客から「お気に召さない物をお贈りした」旨の不満を告げられていた事実が判明した。このような経過の下で、三越は、顧客及び受贈者の双方から、非常識なことをしたとして厳しく叱責され、三越社員が顧客宅を訪問して謝罪することを余儀なくされた(以下、右事実を「バッグの件」という)

その後、被告銀座店の当時の営業担当者で原告の上司である大滝恵子は、三越銀座店のフロア担当責任者から、バッグの件を理由に原告を被告銀座店から替えてほしい旨の申入れを受けたので、被告の奥田営業部長にその旨伝え、同部長から原告に厳重に注意してもらった上、右フロア担当責任者に対し、右経過を述べて了承を得た。

7  被告の冬期の賞与の査定は、S、A、B、C、Dの五段階評価によって行われ、Bが標準で、CはおおむねBの三分の一程度、Dはゼロという内容になっていたが、被告は、バッグの件につき原告の重大な失態を認めたほか、三越銀座店の社員との協調性の欠如を認め、原告の平成七年冬の賞与につきC評価をした。これに対し、原告から抗議があったので、同年一二月一八日、羽田人事部長らが原告と応対し、被告の評価理由を説明し、このままの状態が続けば会社は原告を必要としなくなる旨の警告及び今後の改善努力の注意の喚起をした。

8  ところが、その直後の同月二〇日ころ、原告は、被告銀座店で手帳のリフィール(補充用紙)を購入した顧客からの電話で、購入したリフィールの金粉部分に傷があったことを理由に取替え依頼があったのに対し、「そんなはずはない」などと、顧客自身が傷を付けたというように受け取られる応答をするという行為に及んだ(なお、右手帳(日記帳)は革製で、毎年その中身だけを取り替えることができるようになっており、リフィールとはその中身を意味している)。このような対応を受けて立腹した顧客は、三越銀座店のストアサービス部門(顧客からのクレームを受け付ける窓口)にクレームの申し出をしたため、これを知った同店のフロア担当責任者が顧客宅を訪問し、リフィールを新品と交換して謝罪することを余儀なくされた(以下、右事実を「リフィールの件」という)

そのころ、羽田人事部長は、リフィールの件につき三越銀座店のフロア担当責任者から連絡を受けたので、同店に出向いたところ、右責任者から、リフィールの件を理由に「原告を替えてほしい」との申入れを受けるとともに、今後何かあれば報告してほしいとの依頼を受けた。しかし、折からクリスマス前の繁忙時期であったため、同人事部長は、右申入れに対する措置を採ることができないでいた。

9  平成八年四月一〇日ころ、顧客が、被告銀座店の店頭に来て、原告に対し、購入したカルティエの腕時計(品名「パシャ」)の金属バンドを革製バンドに取り替えてほしい旨話しかけたところ、原告は、けんもほろろに「そんなことはできない」と言って、いきなり背を向けて別の場所に行ってしまうという対応をした。これに立腹した顧客は、直接被告本社に電話をかけて、右のような対応を受けたことについて直接抗議を申し入れ、「カルティエとしてはあんな人はマイナスではないか」などと不満を述べた。被告本社では、たまたま居合わせた中川保孝渉外部長が電話を受け、顧客に謝罪した(以下、右事実を「腕時計の件」という)。

さらに、同部長は、原告に電話で厳重に注意するとともに、翌日からの海外出張を終えて帰国・出社した同月二二日、羽田人事部長に前記経過を報告したところ、同人事部長は、かねての依頼に基づき、三越銀座店のフロア担当責任者に右の件を報告した。これに対し、同責任者は、一刻の猶予もなく原告を三越銀座店から退去させるよう、同人事部長に強く要請した。

10  原告は、被告銀座店に勤務中、同一のフロアに勤務する三越銀座店の社員との間で、何かを依頼する場合にも、とかく部下に対するような命令口調を取り、時には理由もなく口論するなど、協調性がなかった。また、原告は、ガラスケースに肘をついたり、靴を脱いだまま顧客と応対したりするほか、顧客に対する言葉遣いも悪かった。このため、原告は、しばしば、三越銀座店の社員との協調性の欠如や接客態度の問題について、同店のフロア担当責任者などから注意を受けたが、改善が認められなかった。

11  以上のような経緯の下で、被告は、同年四月二五日、営業、人事等の関係者が協議の上、もはや三越銀座店(被告銀座店)に置いておけないとの結論で一致し、とりあえず、同日付けで原告の配属を被告銀座店から本社営業本部に変更する旨決定し、同月二六日、羽田人事部長が原告と会って右発令を通告した。その後、同年五月二日営業本部の担当部長が原告に対し、口頭で自宅待機を命じた。

12  一方、顧客が販売員の接客態度についてクレームを付けるのはよほどのことであり、それにもかかわらず接客態度についてクレームが発生するのは、その陰で一〇人か二〇人か、相当数の顧客が我慢しているはずであるというのが、被告の属する業界における一般的な観念であった。そこで、被告としては、これまでの経過から、原告の場合、繰り返しクレームを引き起こし、これを改めるように注意しても改めようとしないことから、もはや原告を販売職社員としての業務にこれ以上従事させることはできないものと考えられた。また、被告における販売職社員以外の他の職種(普通社員、技術職社員。ただし、嘱託社員及び契約社員を除く)も、それぞれ、経理や人事などの専門知識やコンピューターの習熟など、販売職社員には必ずしも要求されない別の能力や経験が要求されることから、原告を販売職社員以外の他の職種に配属替えすることも困難であると考えられた。

そこで、被告は、原告に対して任意退職を勧めることとし、羽田人事部長が、同月一日から数回にわたり、原告と面談し、原告に退職を勧めたが、原告がこれを拒絶したので、同月一〇日、原告に対し、自発的に退職しない場合には被告としては原告を解雇せざるを得ない旨説明した。その後も、同人事部長は、数回原告と面談し、退職金の上積みによる自発的退職の説得に努めたが、原告は、これに応じなかった。以上のような経過の後、被告は、原告に対し、同月三〇日到達の内容証明郵便により、本件懲戒解雇を通告した。

なお、原告は、バッグの件について、長い海外生活によって、ヨーロッパの慣習が身に付いていたため、顧客に電話連絡した旨主張し、(書証略)及び原告本人尋問の結果中には右主張に沿う部分があるが、原告の主張するヨーロッパの慣習なるものの内容が今一つ明瞭を欠くのみか、一方で、原告本人尋問の結果中には、百貨店を経由した贈答品が金券と交換されることがあることを原告自身知っていたことを認める供述が存在するのであるから、原告の右主張は説得的なものとはいえない。また、腕時計の件については、接客時の事情で顧客と丁寧に対応する時間的余裕がなかった旨主張し、(書証略)及び原告本人尋問の結果中には右主張に沿う部分があるが、仮に原告主張の事情が存在したとしても、販売員として前記9認定のような態度をとることが許されていいものではないと考えられるから、右主張も採用することができない。

二  前記認定事実、殊に、(1) 原告の接客態度が、被告の取り扱う世界的に著名なブランド商品の販売員として、被告のブランドイメージを傷つける著しく不適切なものと考えられること(特に、バッグの件、リフィールの件及び腕時計の件に具体的に見られるもの)、(2) 被告とその出店先である百貨店との関係からして、被告としてはできる限り百貨店側との関係を良好に保たなければならないものと考えられるのに、原告は、百貨店側の社員との協調性を欠いたばかりではなく、前記接客態度に起因して、被告の出店先である百貨店側に対し、それ自体やっかいなものというべき顧客のクレーム解消の措置を採ることを余儀なくさせたこと(特に、バッグの件、リフィールの件)、(3) しかも、原告は、被告側及び百貨店側双方の度重なる注意等にもかかわらず、このような接客態度の問題及び百貨店側の社員との協調性の欠如の問題を、長期間にわたって、繰り返して引き起こし、何ら改善努力のあとを認めることができないこと、等の事実に照らすと、就業規則五九条(1)及び(14)所定の懲戒解雇事由に該当するとしてされた本件懲戒解雇については、右懲戒解雇事由該当性を認めることができ、前記認定の本件懲戒解雇に至る経緯を斟酌しても、懲戒解雇に付した被告の措置に権利の濫用を認めることはできないものというべきである。

なお、本件で問題になっている事柄は、一種の債務不履行(不完全履行)としての側面を備えているが、これにとどまらず、その態様において、他の従業員の士気にも影響を及ぼし、企業秩序を乱すものとしての側面を備えていると考えられるから、これを懲戒解雇事由に該当するものとすることは、その意味でも相当といわざるを得ない。

三  よって、原告の本訴請求は理由がないから、いずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 福岡右武)

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